"チーム"の本質

チームとして最大の効果を出すには

自己啓発の研修には、「目標をコミットして、絶対達成する」というものが数多くあります。
いうなれば、「自分が何でもできる、スーパーマンになる」というイメージでしょうか。たしかに営業職など、自分ひとりでやる仕事などにはそういった研修がマッチするでしょう。

しかし、多くの現場では、仕事は誰かパートナーと、さらに言えば”チーム”で行うことが多いのではないでしょうか。ひとりのスーパーマンは居るが、全体として成果がイマイチ、ということがよくあることです。

リバイバル・コースでは、「チームで喜びをもって最大の効果を得る」ことを目的としています。

喜びをもって成果を作るチーム

コリント人への手紙 第一 12章14~27節には、こうあります。
“確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。”